それでも君は帰ってくるんだろうね

不思議な少年」の最新号を読み、意味不明な衝撃を受けた。この話に元ネタがあるのかないのかどうでもいいことだ。連想して考える。

作品をはかる目盛りとして、「それで何人殺せるか」という指標を採用してみる。おおざっぱにいうと人間は真善美に直面すると発狂する。ある種の作品はなんだか知らんが人の人生を狂わせる力があるから、これで何らかの一面は切り取れるだろう。殺せるからすごいとか、殺せないからしょぼいというわけではないだろうけど。
(聖書や共産党宣言は直接間接にのべ何億人の人間を殺害したか。)

順不同。
音楽は好きだが、偉大な音楽は「音楽を愛せ」というメッセージを送りつけてくるし、音楽好きはアル中と同じくらい危ないと思う。クラシックとかメタルとかのある部分。
小林秀雄とか太宰治の文章を読んで人生が狂った有為の若者ってかなりいるだろうな。
やったことないけど演劇は人間がやれることの中でもっとも楽しいものなんだろうなあと思う。その分やってる奴の年収や目の輝きは酷い。
ドラゴンボールもすごい影響を特定の年代に与えているはず。

共通して、圧倒的に無責任なのに「俺に任せてすべてを捨ててついて来い」と主張しているように見える。勝手に賭け金を上げておいて、いつの間にかケツをまくって逃げる外道な悪友を連想する。(ガンダムの監督はここのところに自覚的で胸を痛めていると聞いた。)
説得力以外なんにもないじゃねえかお前、と言いたくなる。

これらの作品は普通にすごいので適当にいなすほかないが、これと対比して不思議なのは、その気になればたくさん殺せるような毒性を持ちながら、「この作品で人の人生を狂わすことだけはしたくない」という意志が感じられるような作品の存在だ。こういうのは世間にどれくらい流通しているのかどうか分からんが、ものすごくへんてこにねじ曲がった意志に見える。本当によくわからない。
これを今の自分は「人間ってこういうものだ、という落ちをつけることだけは拒否する」というメッセージだと受け取っているようだ。正しいのかどうか、いまいち無理筋なのではないかと不安だ。この考え方があっているかどうか検証するためにもっと例が欲しい。なんか致命的な見落としがあるような気がするし、これしか無いとも思う。

少年がもしいるのなら「手加減してくれ」というだろうな。