信用→富→金銭

お金っつうのは富をある次元で抽象化したもので、富そのものではない。(富って何と言われると困るが、相対的に、権力や金銭よりも汎用性が高く、希少なリソース。転用可能。拡大再生産機構が金銭よりもわかりづらい。)

お金は富から生まれ、富は信用から生まれ、信用は何から生まれるかというとさっぱりわかってなくて、でもヒューリスティックはたくさんある。

例えばどこかのブログで本がおすすめされていて、全く知らない人が、あるいは阿呆らしき人が書いていたら見向きもしない。しかしもし知り合いや賢そうな人が書いていたら注意資源を向け、購入するかもしれない。これは信用が富(この場合は書評とおすすめという価値ある情報)に向けられ、そこから経済活動が始まるという形。

経済学で信用とか信頼とか説明されるとかなりインチキくさいけど、どうしても外せない。
(なんでインチキくさいかというと、世間では信頼とか信用を間接的に扱い表現する習慣が根強くあり、それを直接表現する奴はいろんな意味でインチキ臭い奴、というコンセンサスがあるので、それが認知的に誤爆しているのだと思う)

人間は人間しか信用できない、のだと思う。(組織や社会システムみたいなもっと大きなもの、もっと小さいものに対してはそれを代表する人間を思い出して、抽出してそいつを信用するかどうか決めるはず。)

信用は複製できないし、譲渡できない。

スティグリッツの「新しい金融論」では、こういうメカニズムが景気後退期の商業銀行と中小企業の信用リスクに関する合成の誤謬として逆効果に働くことが書いてある。)