極悪がんぼについて

極悪がんぼという漫画の感想。面白いから読むんだけど、滅茶苦茶つらい。主人公の無能さと因果応報の災い連鎖がとても人ごととは思えず、滅茶苦茶感情移入してしまう。
この漫画のジャンルはナニワ金融道のような裏社会ソーシャルハックもの+ピカレスク成長ロマン物語ということになるのだろうが、どちらかというとそれはおまけに過ぎず、無能はなぜよくないのかを掘り下げた漫画だと思う。金銭的に貧しいだけでなく、肝心なところでの目端が利かなさ、才能の貧しさが、どんな禍災を引き起こすか。
これはソーシャルハックをネタにしている漫画で、それなりに人気もあるので、話を継続させなければならない。つまり主人公に裏社会にいつづけてもらわなければならないし、かといって裏社会でもあんまり出世させるわけにはいかないし。だから主人公の神崎がそこそこ有能だが肝心なところの見積りが駄目すぎるキャラクターとして描かれているのは、シナリオ上の要請でもあるだろう。まじめに作者が無能さを作品のテーマとしているか、っていうと、そうではないような気もする。でもまあそういうのはいい。このような無能さがテーマの話は、探せば他にもいっぱいあったと思うのだが、それらはまあ人ごとだし作り話なんだと一晩寝れば忘れてしまう。でもなぜか極悪がんぼの場合は寝てもさめても忘れがたい。なぜなのか。

何がつらいかって災いの描かれ方が一番嫌な感じにつきささってくるところだ。作中では、運命(乱数、偶然)は良い方にも悪い方にもなんの役割も果たさない。物語を進める原動力は、人間の能力、有能さと無能さの間の落差である。それがエネルギーになって、無能と災いがピタゴラスイッチのように不可避的に連鎖する。まあ災いばかりでもなく、裏ビデオ屋の利権獲得などのおいしい思いをすることもあるのだが、その場合必然的に、かわりに神崎に食いつかれた駄目な人々がタコ部屋行きなどの災いに陥るはめになっており、やらずぼったくりで果実を得ることはできないことがしつこく強調されている。いやすぎる。主人公にしろ、主人公に喰われる人たちにしろ、どっちにしろ感情移入せざるを得ない。

一番つらいのは、7〜8巻あたりでヘルス嬢の彼女ができるあたりのエピソード。女の子のかわいさを表現するのは向いてなさそうな絵柄なのに、この彼女だけ気合全開でやけにかわいく描かれているのが大きなポイント。彼女ができて舞い上がって仕事でちょっと詰めを誤り、そのちょっとしたミスが雪だるま式にふくらんで一人では対処しきれないトラブルになり、やがてどうしようもなくなって愛する彼女をはした金で売り渡して場をしのぐが、彼女の心身を最悪の形で傷つけることになり、ふられてしまう。なんとか収拾をつけ、最終的に得たものは借金棒引き。一見大きな成果だが、その過程でやばい筋に借金よりも大きい借りを作ることになり、ハタ事務所の半年に一度の看板料を支払うために権力の狗としてより一層はいずりまわる羽目になる。人間しか出てこないのに恐ろしく機械に似ている。恐ろしすぎる。
書いてみると最近考えている悲劇=アンチモデルの話で料理したに過ぎず、ハンマーと釘のことわざそのものかもしれない。そもそもこのつらさを感想文として書いたりこまごま考えたりしても、読後感のげんなりさが解消されるわけじゃなし。
落ち。結局のところ神崎に感情移入できるのはおれがわりと無能だからだろう。でもなあ、どうもそれだけの理由でこんなに重い情動反応が起こるとは思えない。なんか細かい部分で無意識に壷にはまる何かがあるのだろうか。他の無能な人はそんなに神崎に感情移入しないんだろうか。いろいろ疑問なので他の人の感想が知りたいが、いまいちそういう感想がないんだよな。


.. マンガ批評本などでもゴッドファーザーの域に達するピカレスクロマンと絶賛される[要出典]。
これってほんとかよ。しかし確かにゴッドファーザーだな。